含羞が生んだ陰影豊かな芸・・・上村以和於

中村吉右衛門さんを悼む、上村氏の追悼文。吉右衛門さんが亡くなられたという報道の翌日、演劇評論家の上村氏が、日経新聞(2021.12/3)に追悼の文章をよせた。

見出しの『含羞』に何と読むのか、意味は?久しぶりに漢和辞典を引き、「がんしゅう」と読み、下に「む」がつくと「はにかむ」と読むと分かった。羞恥心の「しゅう」を「含む」のかと合点がいった。

追悼文に歌舞伎界を背負い、人間国宝にまでなった彼の複雑な生い立ちに、人生を斜めに眺めながら、芸を深めたさまに、人生の深い襞を見た気がする。


毎日、仕事が終わり、ソファに座ると「鬼平犯科帳」のビデオを見るのがこの半年の日課になっていた。毎日、BSと地上波で2回分再放送されている。そして、食事の支度にかかるのが日課。江戸情緒と吉右衛門さんの優しさ、男の色気に癒されてました。いつも最後にほろっとさせられる。

彼の真摯な生き様を垣間見ているようでした。

なにかテレがあって、可愛いところがあった。そうか、それが『含羞』『含羞む』というのかと…。新たな言葉に感動を覚えた。

その言葉にぴったりな作品がある。多治見の陶芸家・可児孝之さんのお面だ。今年、『器にあらず・陶・ガラス』展で展示された作品。哀愁を帯びた何とも言えない表情で見つめてくれるお面。その透き通った目にひきつけれれていた。そうだ、これこそ『含羞』だと。作家の真摯な生きかたを表現している。

ギャラリー花棕櫚

100年の時を経た古い家が甦ります。 温もりのある作品で新たな命と風を吹き込みます。

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